標題の本「姜維伝」を読みました。
姜維伝の作者について
作者は小前亮氏。
田中芳樹氏の事務所「らいとすたっふ」に所属する作家さんです。
東大で中央アジア、イスラム史を学んでおられた経歴の持ち主です。
東大在学中から歴史コラムなどを執筆されていたそうですが、田中芳樹氏のすすめで小説を書くようになったとか。
これまで「李世民」「趙匡胤」「朱元璋」「李自成」など、日本ではあまり題材になりにくい歴史上の人物を主人公にした作品を書いておられます。
姜維とはどんな人物
この作品の主人公は三国志、蜀の武将として有名な姜維、字は伯約という人物です。
涼州は天水郡出身の人物で初めは魏の国につかえていましたが、いわゆる諸葛亮(字は孔明)の北伐により蜀に仕えることになりました。
その才能を見出された姜維は諸葛亮の薫陶を受け、諸葛亮亡き後も蜀を主に軍事面で支えました。
小説である「三国志演義」では諸葛亮の忠実な後継者として教えを受け継ぎ、国力も戦力も劣る状態である上、皇帝劉禅が宦官の意見ばかり耳にして堕落していたにも関わらず、孤軍奮闘し蜀のために尽くした人物として好意的に描かれています。
そのため非常にファンの多い武将です。
一方で冷静に歴史的に見ると、北伐にこだわるあまり国力を疲弊させ、蜀の滅亡を早めたという批判もあります。
実際、北伐に挑んだものの大敗して帰国するようなこともありました。
なお、蜀という国自体は姜維が北の要害で魏の鍾会将軍が率いる部隊を防いでいる間に、鄧艾将軍が率いる魏の別働隊が首都成都周辺に進出し包囲したため、皇帝劉禅があっさりと降伏し滅んでいます。
このことから劉禅は蜀のファン、特に諸葛亮や姜維のファンから非常に嫌われており、中国にある諸葛亮を祀る「武侯廟」では劉禅の銅像が作られるたびに壊されるので、現在は作られなくなったという逸話があります。
成都を陥落させた鄧艾将軍は鍾会らの讒言により野心を疑われ、最終的には殺されています。
一方、成都を支配することになったのは姜維と戦っていた鍾会でした。
鍾会が野心のある人物と見た姜維は蜀復興のため鍾会に接近。
実際、ふたりで手を組んで行動を起こす寸前まで行きましたが、殺害されるのを恐れた鍾会の配下たちがふたりを襲って殺害。
無念にも命を落とすことになりました。
享年は62歳とされています。
姜維伝・私的感想
三国志および三国志演義では、諸葛亮の死後はダイジェストで片付けられることが多く、魏と蜀の最終的な攻防をあまり詳しく書かれた作品を読んだことがありませんでした。
私にとっては足りない知識を補ってくれる作品でした。
ただ、作者オリジナルの人物が登場しますし、歴史書としての三国志だけでなく小説としての三国志演義から出典している部分もあるようでした。
すべて歴史的事実と思って、どこかで知ったかぶりすると恥をかくかもしれませんのでご注意を。
この作品では姜維だけでなく、魏の将軍、鍾会や鄧艾も魅力的に描かれており、特に姜維が話が噛み合わない文官や宦官たち相手に苦心していた悲哀というものを十分に感じさせてくれる作品でした。
小前亮作品は何作か読んだことがあるのですが、作者の経歴からかくるものか、歴史学者的な視点から物を見ている感じで、登場人物たちの心情よりも歴史的事実を淡々と並べているような描写が多いのが気になってはいました。
そのため登場人物に感情移入がしづらい部分があったのですが、この作品は主人公だけでなく、他の武将たちにも共感できる部分がたくさんありましたね。
もちろん、題材が三国志関連なので、あまり日本で知られていない他の時代より予備知識があったから読みやすかったというのもあるかもしれませんが。
この作品を読んでみて、小前亮作品をもっと読んでみたいと思いました。
おまけ・三国志(三国時代)の結末について
有名な三国志ですが、先述したように諸葛亮死後までしか描かれない作品もあるなど、その後の結末についてあまり知られていません。
蛇足ですが簡単に説明しておきます。
まず、この作品にも描かれているように、魏が蜀を滅ぼします。
263年のことです。
しかし、その魏も司馬一族によって国を奪われ滅び「普」という国が生まれます。
初代皇帝は司馬炎。
これが265年のことです。
呉は280年に普によって滅ぼされ、ここに三国時代が完結。
普が中国を統一します。
なので、一応、三国時代最後の勝者は司馬炎と普ということになります。
ですが、この普も300年に八王の乱と呼ばれる反乱が起こり国力が衰え、中国の北半分を異民族に奪われます。
一部の皇族が東南へ逃れ、東普として国は続きますが、結局長続きしませんでした。
せっかく一度は統一された中国でしたが、再び南北朝時代という戦乱の時代となり、581年に楊堅が統一王朝「隋」を興すまで混乱は続くのでした。
その隋も二代で滅んでしまいますが……
コメント